2011年3月14日

東北地方太平洋沖地震

市元です。

東北地方太平洋沖地震
被災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
ただただ一人でも多くの方の無事を願うばかりです。

1995年1月17日に阪神・淡路大震災がありました。
当時高校3年生でした。
ビルは倒れ液状化で高校の校庭には大きな穴があきました。
今と違って携帯電話もなくテレビの情報だけが頼りでした。
親戚の家が倒壊した為、ペットボトルの水を数本ドラムバックに入れ担ぎ
倒れた高速道路の横を自転車で運びました。
当時の惨状は今でも目に焼き付いています。
家の前のおばあちゃんの安否がわからなくて
2階によじ登り窓をこじ開けたりもしました。
何よりも感動したのは停電中のコンビニは食料を求め列を成しました。
電気もつかない
レジも手動
防犯カメラも回ってはいないでしょう
それでもきちんと並び節度ある買い物をする
当たり前ではありますが素晴らしいことです。

そして2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震
今回も日本人のモラルの高さが世界から称賛されています。

今は当時と違い様々な情報伝達手段があります。
SNS、Twitter、Facebookなど
それも日本だけではなく世界にネットワークがあります。
Twitterを見ていても激励だけではなく
具体的行動を呼びかける声なども多々見受けられます。

被災地の方は情報にも制限があります。
情報を入手でき行動に移すことが出来る人は
自分の出来ることを精いっぱいやらなくてはなりません。

節約、募金もそうですし
仕事をすること
家族を守ること
友人に連絡すること
近所に声掛けすること

大きい小さいではありません
やるかやらないかです

しばらくは様々な制限があると思いますが
一人ひとりが協力し合い
前を向いて進んでいければと思います。