2012年11月14日

前回のエントリーに改めて思ったこと


こんにちは
本日大阪に来てます市元です。

前回のエントリーからちょっと思ったことです。

昨日13年ぶりくらいに大学時代の友達と再会しました
彼は当時58kgだったのに今は80kgオーバーらしい
月日が経つのは早いものだ。もう36歳だもの

その中で
4年間一緒にいたけどあまり一緒に遊んだ事ないな
お互いバイトばかりしてたしね
という会話があった

前回のエントリーで僕は
仕事が楽しいと思った事はない
と書いたわけだが
この思考はもしかして学生時代に身に付いた価値観じゃなかろうか
再度誤解のないように念を押しておくと
「楽しいと思わない」の反対は「楽しくない」ではない
「楽しいと思わない」の反対は「当たり前」である

学生時代にバイトで稼いだお金で何をしていたかというと
彼女にプレゼントをしたり
旅行に行ったり
車買ったり
結局僕は昔から楽しむ事よりも目的があって働くという行動に
自分の日々の意義を感じていたんじゃなかろうかとふと思ったわけです
日銭を使いいつの間にか無くなっていたということはなかったように思うから
末締め払いの給料だったからというのもおおいに関係していると思う

これらは僕個人の価値観でこうあるべきだというものではない

もしこの時代に
友達と触れ合うサークル活動に熱心であったなら
一攫千金を目指して毎日パチンコばかりしていたなら
今が欲しくて日払いのアルバイトをしていたなら
自分を着飾ることが大好きだったなら
夢見て株なんてやっちゃってたなら
また違った価値観で今仕事をしていたかもしれない

学生時代にバイトをする人をは多いと思うけど
その辺の価値観って社会に出た時に自分の常識としてかなりの影響を受けると思う今日この頃であります

2012年11月1日

仕事が楽しいって言うと幸せに見えるのか


こんにちは
久々の市元です。

就職率の話とか離職率の話とか
テレビや新聞、面接の度に思う事があります

仕事が楽しい
よく聞きます
仕事が楽しくない
よく聞きます
やりたい仕事が見つからない
よく聞きます

仕事って楽しいものなのでしょうか?
仕事って選ぶものなのでしょうか?
仕事って何のためにするのでしょうか?
いつから仕事にそういうことを求めるようになったのでしょうか?

ツイッターやfacebookなどでは仕事が楽しいという投稿をよく見ます
楽しいって感覚ってどういうものなのでしょうか?
やりがい、達成感
これはわかります
でも僕にとっては「楽しい」ではありません

僕は社会人になって仕事が楽しいと思った事は一度もありません
25歳で結婚して子供が産まれて家を建てて
僕の根本は家族を幸せにする事にあります
その為に働くのです
当然のことながらサラリーマン時代は給料をもらうわけですから
それに見合うやるべき義務はあります
今は経営者となり社員のみんなに給料を支払う義務があります
お金を頂くお取引様には求められる以上の成果を出す義務があります
未来を担う若い社員を育てて一人前にする義務があります
でもそれらは楽しいという言葉ではありません
僕にとって全ては義務です

僕がよく社員に話す事があります
仕事のモチベーションは仕事外に持て、と
給料をあげたい
出世したい
仕事をやる上でのモチベーションを仕事の中にもつと
挫折した時に自分自身との戦いになります
場合によっては諦め、妥協になります

彼女にプレゼントを贈りたい
旅行に行きたい
結婚したい
車が欲しい
家が欲しい
人であり物であり幸せになる為の手段を仕事とするべきで
仕事をし報酬をもらうという事はそこに果たすべき義務が発生する
その義務を果たせないという事は幸せになる権利を与えられないのではないか
その権利を得る為に必死に仕事をする
そこから生まれる結果に充実があるのではないか

すごい極端なのかもしれませんが
仕事は幸せの手段であるということを
一つの考え方として持ってもいいのではないでしょうか

そうすると自然と「嬉しい」がついてくるような気がします